はじまりの日本劇映画 映画 meets 新派・新劇・新国劇はじまりの日本劇映画 映画 meets 新派・新劇・新国劇

高田馬場

新国劇を創設した澤田正二郎が、母校である早稲田大学の大隈会館大庭園において、坪内逍遥の脚本で中山安兵衛の仇討話を一座とともに上演した戸外劇『高田馬場』の記録で、当時劇場公開もされたものの、長く現存が確認されていなかった幻の作品。アトラクション的な要素の強い屋外公演ながら、新国劇の舞台の一端を伺うことのできる貴重な資料であり、映画で同じ役を演じた大河内伝次郎や阪東妻三郎の演技を考える上でも興味深い作品であろう。

映画詳細

映画題名
高田馬場
映画題名ヨミ
タカダノババ
製作年(西暦/和暦)
1924(大正13)年
解説
新国劇を創設した澤田正二郎とその一座が1924年10月31日から11月2日にかけて、澤田の母校早稲田大学の大隈会館大庭園で行った戸外劇『高田馬場』(坪内逍遥脚本、2場)の記録で、同年12月に松竹キネマ配給で浅草の電気館で『罪なき罪』(太宰正夫監督)と『霧の夜話』(蔦見丈夫監督)と併せて公開された(参考文献⑤)。
元素材はトップおよびエンドタイトルが欠落しており、題名については各資料で異同があるが、本サイトでは『高田馬場』とした。現存することが長く確認されていなかった作品であり、屋外での公演という制約があるとはいえ、澤田正二郎の実演での演技をうかがい知ることのできる貴重な資料であろう。なお、新聞に掲載された公演広告(参考文献②)に「澤田正二郎一座」、浅草電気館での上映の広告(参考文献⑤)には「澤田正二郎とその一党出演」とそれぞれ表記があるのみで、他の出演者名は確認できていない。公演広告では『高田馬場』の他に、久米正雄作『地藏經の由來(地藏經由來)』(1幕)と坪内逍遥作のページェント『事代主の命』(2場)の上演が予告されているが、参考文献(④)では初日の上演順として、最初の『地藏經由來』の後に児童劇『獅子と藪蚊と蜘蛛』が挟まれて『高田馬場』が上演され、最後が『事代主の命』だったと報じられている。この時期、新国劇は赤坂の演技座で『仮名手本忠臣蔵』を上演しており、戸外劇公演が午後3時の演技座の開演に差し支えないことを新聞で告知している(参考文献③)。なお、『事代主の命』は「劇術會出演」となっており、演技座の開演時間からも澤田たちは出演していないと考えられる。澤田正二郎は前年の関東大震災発生から間もない10月17日から3日間、日比谷公園新音楽堂で『地藏經由來』『勧進帳』『高田馬場』を上演したが、そこで上演された『高田馬場』の作者は長田秀雄だった(参考文献①)。
坪内逍遥作の脚本は2場から成っており(参考文献⑥)、第一場「雑司ヶ谷鬼子母神附近」は泥酔した安兵衛が叔父の菅野六郎左衛門からの手紙を読んで慌てて駆け出すまで、第二場「高田馬場」は六郎左衛門が村上兄弟たちに討たれ、その後に駆け付けた安兵衛が仇討ちを果たす形に仕組まれているが、元素材では六郎左衛門と中山兄弟の果し合いから始まり、「七助の注進」の字幕タイトルが入ると雑司ヶ谷で安兵衛が手紙を読む場面になる。その後、「第二場 高田馬場」の字幕タイトルが入ってクライマックスを迎える構成になっている。
なお、本作は都商会の教育映画目録には教育劇映画の「文部省推薦」作品として掲載されている(参考文献⑧)。
時間(分)
8
サウンド
サイレント
カラーの種類
白黒
製作会社
東京朝日新聞社
配給会社
松竹キネマ株式会社
公開年月日
1924年11月13日(浅草電気館)
スタッフ
東京朝日新聞社[撮影]
キャスト
澤田正二郎(中山安兵衛)
検閲番号等
初公開は1925年7月1日からの内務省による全国統一の検閲制度実施以前だが、検閲時報にはその後の検閲記録が確認できる。
1925年9月30日
2899、日、新、時代、活、高田の馬場、2巻、412m、東京朝日新聞社(製作者、申請者とも)、新
1926年9月18日
A6411、日、時、活、正、野外劇高田馬場、2巻、410m、東京朝日新聞社(製作者、申請者とも)、新免
松竹の社史(参考文献⑦)では本作の尺長は1巻となっている。なお、元素材はメートル換算で152.12m。
映写速度
16
備考
元素材は、2016年度に東暲氏より受贈した35mm可燃性上映用ポジフィルムを不燃化した35mmインターネガフィルムより作製した35mm上映用ポジフィルム(フィルムストック:EK 2302-2017、尺長:499フィート8コマ)。
参考文献
①無署名「樹の枝へ鈴實りにぶら下る頬冠り 大人気の澤正野外劇」(『讀賣新聞』1923年10月18日付)2面
②「戸外劇」広告(『東京朝日新聞』1924年10月25日付11面および『讀賣新聞』1924年10月25日付4面)
③澤田正二郎「我が新国劇を愛する皆様へ」(『讀賣新聞』1924年10月30日付7面および『東京朝日新聞』1924年10月30日付夕刊2面)
④無署名「賑かな戸外劇」(『讀賣新聞』1924年11月1日付)5面
⑤浅草電気館広告(『讀賣新聞』1924年12月13日付)5面
⑥坪内逍遥「脚本 高田馬場」(『演藝畫報』第十八年第十二號、1924年12月)72-79頁。羽鳥隆英[編][寄らば斬るぞ! 新国劇と剣豪の世界](早稲田大学坪内博士記念演劇博物館、早稲田大学演劇映像学連携研究拠点、2014年)に翻刻。
⑦山本綠葉「主要映畫批評 高田の馬場」(『キネマ旬報』第百八十二號、1925年1月11日)16-17頁
⑧『敎育映畫目錄』(都商會敎育活動寫眞部、1927年)44頁
⑨松竹株式会社[編]『松竹七十年史』(松竹、1964年)747頁
関連リンク
  • 「([道頓堀]朝日座 特集プログラム・チラシ)」(映画遺産 ―国立映画アーカイブ映画資料ポータル―)
    https://nfajfilmheritage.jp/object?id=250783
    ※題名は『堀部安兵衛高田の馬場』表記。